ブラジル紀行 6月21日
6月21日
いよいよ「移民百周年記念式典」の朝となった。晴れの大舞台何としても成功させねばの一念、朝練で最後の仕上げをし、団員の女性軍、年も弁えず、日本人女性未婚者の正装の振袖を着、着物に負けないような化粧(?)をしてサンボドロモ会場に向かった。この日は、徐々に雲行きが怪しくなり遂には時折強い雨が降る天気となった。しかし見物の観衆3万人は、雨合羽を着、パレード出演者1万5千人は様々な扮装で人種などに関係なくこの式典に続々と集まり、物凄いエネルギーが渦巻くお祭り会場となった。この式典は日伯に功労してきた先駆者たちと現住の全伯6万人の一世の方々を祝福するとともに、日系社会の新たな船出となる一大祭典だった。パレードのため特別用意された大トレーラに乗り込み、出番を待つ私たちに近くにいた多人種の子供達が大エールを送ってくれた。トレラーが出発すると同時に今まで降っていた雨も上がり、600メートルの会場を日本から持参した大うちわをバックに「ビバ・バンザイ100年音頭」「おてもやんサンバ」「さくらサンバ」を唄い、踊りながら進めば、大スタンドを埋め尽くした観衆から大声援が送られ、団長の藤尾さんは、皆さんに向かって深々と頭を下げておられ、団長として何としてもこのパレードを成功させたいという気持ちが伝わりまたまた感動。パレードが終わりトレーラーを降りたとき、皆で手を取り合って涙した。

パレードを終え、特別用意された観覧席に着くと、間もなく日本の皇太子殿下の車が大歓声に迎えられて到着。お祭り広場は、厳粛な式典会場となった。皇太子殿下ご着席の後、100年前に笠戸丸が出発したと同じ日に神戸港を出、2万キロの道のり越えて運ばれた「友情の灯」が日系六世の三歳の子供とその祖父母によって聖火台に点火された。日伯両国歌斉唱の後、上原百周年記念協会会長(9歳の時沖縄から両親と一緒に移民し、幾多の困難を経験しながらも、サンパウロ大学名誉教授にまでなられた方)、サンパウロ市長の挨拶に続き皇太子殿下のお言葉があった。その後、海上自衛隊の音楽隊、サンパウロ州軍警音楽隊の演奏が続きサンパウロ州騎兵隊の行進が展開された。さらに3663人のコーラス隊が「さくら さくら」を300人の踊りなどが披露された。まだまだ多くのアトラクションがあったが、帰路の混雑を考慮し、会場を後にした。

いよいよ「移民百周年記念式典」の朝となった。晴れの大舞台何としても成功させねばの一念、朝練で最後の仕上げをし、団員の女性軍、年も弁えず、日本人女性未婚者の正装の振袖を着、着物に負けないような化粧(?)をしてサンボドロモ会場に向かった。この日は、徐々に雲行きが怪しくなり遂には時折強い雨が降る天気となった。しかし見物の観衆3万人は、雨合羽を着、パレード出演者1万5千人は様々な扮装で人種などに関係なくこの式典に続々と集まり、物凄いエネルギーが渦巻くお祭り会場となった。この式典は日伯に功労してきた先駆者たちと現住の全伯6万人の一世の方々を祝福するとともに、日系社会の新たな船出となる一大祭典だった。パレードのため特別用意された大トレーラに乗り込み、出番を待つ私たちに近くにいた多人種の子供達が大エールを送ってくれた。トレラーが出発すると同時に今まで降っていた雨も上がり、600メートルの会場を日本から持参した大うちわをバックに「ビバ・バンザイ100年音頭」「おてもやんサンバ」「さくらサンバ」を唄い、踊りながら進めば、大スタンドを埋め尽くした観衆から大声援が送られ、団長の藤尾さんは、皆さんに向かって深々と頭を下げておられ、団長として何としてもこのパレードを成功させたいという気持ちが伝わりまたまた感動。パレードが終わりトレーラーを降りたとき、皆で手を取り合って涙した。

パレードを終え、特別用意された観覧席に着くと、間もなく日本の皇太子殿下の車が大歓声に迎えられて到着。お祭り広場は、厳粛な式典会場となった。皇太子殿下ご着席の後、100年前に笠戸丸が出発したと同じ日に神戸港を出、2万キロの道のり越えて運ばれた「友情の灯」が日系六世の三歳の子供とその祖父母によって聖火台に点火された。日伯両国歌斉唱の後、上原百周年記念協会会長(9歳の時沖縄から両親と一緒に移民し、幾多の困難を経験しながらも、サンパウロ大学名誉教授にまでなられた方)、サンパウロ市長の挨拶に続き皇太子殿下のお言葉があった。その後、海上自衛隊の音楽隊、サンパウロ州軍警音楽隊の演奏が続きサンパウロ州騎兵隊の行進が展開された。さらに3663人のコーラス隊が「さくら さくら」を300人の踊りなどが披露された。まだまだ多くのアトラクションがあったが、帰路の混雑を考慮し、会場を後にした。

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