ブラジル紀行 6月17日 18日
【慶祝/ブラジル日本移民百周年日本民謡文化使節団】として渡伯しました。日本の反対側24時間かけての渡伯でしたが、団員35名一同、もう1つの日本にまさに目から鱗の尊い経験をすることができ、まさに「感動、感激、感無量」の連続でした。
6月17日
空路早朝サンパウロに到着後そのままバスで日系人老人ホーム「憩いの園」に直行ホールで私たちをずっと待っててくれた入居者に懐かしい日本の唄や踊りを届けた。

1975年建立された「日本移民開拓先没者慰霊碑」に墓参、日本から持参した名水と花を供え墓前ではるか彼方は日本の空かよの気持ちをこめて数曲の唄を献歌した

サンパウロ新聞社創始者「水本光任氏」の墓地でご高齢の未亡人とご令嬢に面会し、参拝した都市交通網のインフラが立ち遅れているためサンパウロ市内は車の大渋滞で次の場所に移動するのが大変だった。やっと宿泊先のホテルに到着早々舞台衣装に着替えて「熊本県人会館」へ向かった。会場には、在住の熊本県人会の皆様がたくさんの料理や飲み物を用意して下さり、懐かしい熊本弁で歓談の後「五木の子守唄」「おてもやん」「田原坂」などの熊本民謡を踊りを交えて披露した
6月18日
この日は、今から百年前にサントス港に笠戸丸で781人の日本人移民が到着した記念すべき日でした早朝にホテルを出発、陸路をなんと540km、バスで内陸の日系人が拓いた町、プレジデンテ・プルデンテへ向かった。道中は、行けども行けどもさとうきび畑と牧場、さすがブラジル大国の広さに圧倒された。午後3時やっと現地につきホテルの玄関で熊本県出身の小野様の「よく来て下さいました」の固い握手を受けた時は、涙がこみ上げてきた。小休止の後正装に着替え文化協会会館に移動、ここでもまた日系の民謡愛好家の皆様の熱い熱い歓迎には、感動感動の連続だった。皆様ご高齢にも関わらず私たちのために沢山の手料理をp用意され、歓迎のご挨拶は、私たち日本人がすでに忘れてしまった「大和魂」を貫いた矍鑠としたもの、またまた涙、涙の感激でした

団員がそれぞれ持ってきたお土産や熊本から持参した浴衣などの贈呈のあと日本の食事とほとんど変わらぬ御馳走を頂き、近くの日本庭園に向かった。ここは、「日本移民百周年記念」を祝して再整備された公園で今回記念碑の除幕式典が開催され、野外舞台がかかり、在住の他国人種が約一万人集まり、荘厳な記念式典が挙行された。残念ながらすべてポルトガル語で挨拶の内容は理解できなかったが、式典の始まりは舞台の上で合唱団のブラジル国家と日本の君が代の斉唱には、心が清められる思いだった。また、舞台下の観衆の子供たちが姿勢を正して合唱団に合わせて歌う光景があちこちで見られ、これにもまたまた感動させられた。

その後舞台では、在住の日系人を交えた多人種の方々による和太鼓の演奏「海を渡って百周年」などの踊りが披露され、私たち使節団も今回の記念のため団長の藤尾氏が作詞、竹峰作曲の「ビバ・バンザイ100年音頭」をサンバ調の踊りを交えて披露すると、観衆からヤンヤの喝采をあびた。
6月17日
空路早朝サンパウロに到着後そのままバスで日系人老人ホーム「憩いの園」に直行ホールで私たちをずっと待っててくれた入居者に懐かしい日本の唄や踊りを届けた。

1975年建立された「日本移民開拓先没者慰霊碑」に墓参、日本から持参した名水と花を供え墓前ではるか彼方は日本の空かよの気持ちをこめて数曲の唄を献歌した

サンパウロ新聞社創始者「水本光任氏」の墓地でご高齢の未亡人とご令嬢に面会し、参拝した都市交通網のインフラが立ち遅れているためサンパウロ市内は車の大渋滞で次の場所に移動するのが大変だった。やっと宿泊先のホテルに到着早々舞台衣装に着替えて「熊本県人会館」へ向かった。会場には、在住の熊本県人会の皆様がたくさんの料理や飲み物を用意して下さり、懐かしい熊本弁で歓談の後「五木の子守唄」「おてもやん」「田原坂」などの熊本民謡を踊りを交えて披露した
6月18日
この日は、今から百年前にサントス港に笠戸丸で781人の日本人移民が到着した記念すべき日でした早朝にホテルを出発、陸路をなんと540km、バスで内陸の日系人が拓いた町、プレジデンテ・プルデンテへ向かった。道中は、行けども行けどもさとうきび畑と牧場、さすがブラジル大国の広さに圧倒された。午後3時やっと現地につきホテルの玄関で熊本県出身の小野様の「よく来て下さいました」の固い握手を受けた時は、涙がこみ上げてきた。小休止の後正装に着替え文化協会会館に移動、ここでもまた日系の民謡愛好家の皆様の熱い熱い歓迎には、感動感動の連続だった。皆様ご高齢にも関わらず私たちのために沢山の手料理をp用意され、歓迎のご挨拶は、私たち日本人がすでに忘れてしまった「大和魂」を貫いた矍鑠としたもの、またまた涙、涙の感激でした

団員がそれぞれ持ってきたお土産や熊本から持参した浴衣などの贈呈のあと日本の食事とほとんど変わらぬ御馳走を頂き、近くの日本庭園に向かった。ここは、「日本移民百周年記念」を祝して再整備された公園で今回記念碑の除幕式典が開催され、野外舞台がかかり、在住の他国人種が約一万人集まり、荘厳な記念式典が挙行された。残念ながらすべてポルトガル語で挨拶の内容は理解できなかったが、式典の始まりは舞台の上で合唱団のブラジル国家と日本の君が代の斉唱には、心が清められる思いだった。また、舞台下の観衆の子供たちが姿勢を正して合唱団に合わせて歌う光景があちこちで見られ、これにもまたまた感動させられた。

その後舞台では、在住の日系人を交えた多人種の方々による和太鼓の演奏「海を渡って百周年」などの踊りが披露され、私たち使節団も今回の記念のため団長の藤尾氏が作詞、竹峰作曲の「ビバ・バンザイ100年音頭」をサンバ調の踊りを交えて披露すると、観衆からヤンヤの喝采をあびた。
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